きまぐれニホイチ!-こまぎれ自転車日本一周旅

休日を利用して気長に細切れの自転車日本1周旅やってます。テントをかついでの野宿スタイルではなく、ビジネスホテルを利用したゆるめの旅記録です。

【コラム】自転車で日本縦断する途中、福島で20年前の自分に再会した話

f:id:nakajima0190:20171004185957j:plain

このコラムも別のメディアで日本一周自転車旅のことを書いたものの転載となります。
東北旅の福島の県境で会った彼がとても印象的だったので、彼のことを書きたいなと思って書きました。
5000字規定の記事だったので、かなり長い文章となっています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
43歳のとき、急に自転車で日本を縦断したくなった。
こういうのって、普通は若い時にするのだろう。大学の夏休みなんかに、自転車にテントを積んで何日もかけて旅をする。日本縦断といわずとも、大阪東京間とか、四国一周とか。若い頃に自転車で長距離の旅をしたという人は結構いるものだ。

でもぼくは全くそういうタイプの学生ではなかった。大学時代はバブルが弾けたすぐ後のいわゆるロストジェネレーションと言われる時代にあたる。時代のせいにするわけではないが、そんな頃に大学時代を過ごしたぼくは、見事なまでに目的がないお気楽大学生の一人だった。
学校に行ってもろくすっぽ授業も受けず、学食の隅でサークル仲間と延々とタバコを吸いながら無駄話をする毎日。運動なんてまったく無縁で、その4年間は自分の足で100mも走ったことがないんじゃないだろうか。今から考えても、これまでの人生の中で一番不健康で自堕落な日々を過ごしていたと思う。

その頃深夜番組で、今やお昼の顔とっなっているウッチャンナンチャンのナンチャン(当時はまだ若手芸人でした)が、ママチャリで日本を縦断をするという企画があった。
最初はおばちゃんの女装をしたナンチャンが、ママチャリでどこまで行けるか? みたいなネタ企画だったと思う。それが回を追うごとにスポーツジャージで頭にタオルを巻き、ひたすら自転車のペダルを漕ぐという、わりかしストイックな本気企画に変わって行った。その頃、努力や根性などのストイックさとは無縁の学生であったぼくだが、なぜだかこのひたすら自転車を漕ぐナンチャンの姿に強く心を惹かれ、毎週何があってもこの番組だけは見逃すまいとしていたのを憶えている。
ナンチャンは東京から名古屋、大阪と駆け抜け、最後は確か福岡までママチャリで走りきったと記憶している。ゴールの時はなかなか感動的ですらあった。自転車って、本気になればこんな遠くまで行けるんだと、見てるこちらまで胸が熱くなった。
当時、リア充なんて言葉はなかったけど、自転車で日本を縦断していくナンチャンの姿は充実していて、楽しそうで、カッコよかった。そして、とても羨ましかった。

それから20数年の時間が経った。
不健康な自堕落学生であったぼくも、結婚して子供も出来、毎日朝から晩まで働く大人になった。
30代になってからは自分で商売をはじめ、小さいながらも会社を経営するようになった。ほぼゼロから始めた商売なので、30代は仕事漬け。休みも朝も夜もなく仕事中心の日々が続いた。大学生のお気楽時代とはまるで違い、毎日は猛スピードで過ぎていく。
またあんなに嫌いだった運動も、会社で大赤字を出した30代半ばの時に、自分を変えたい一新でランニングをはじめ、毎年フルマラソンを走るまでになった。

そんなある日、網膜剥離という目の病気にかかった。網膜剥離ってボクサーとか殴られたりする人の病気だと思っていたので驚いたが、先生曰く遺伝や強い精神ストレスからも発症することがあるらしい。
とにかく治すには手術しかなく、手術後は2週間程度の入院が必要とのこと。
毎日仕事がびっしりの生活の中で、2週間の休みを取るのはかなり難しかったのだが、先生に放って置くと失明しますよと脅され、ゴールデンウィークを利用して手術と入院をすることになった。43歳になっていた。

術後、目の病気なので基本、本も読めないし、テレビもほとんど見れない日が続いた。季節はゴールデンウィーク、窓の外は新緑の頃で太陽がさんさんと降り注いで気持ちよさそうだ。何もせずに病室の白いベッドの上で寝ていると、気分がどんどん滅入ってくる。
そんなときなぜか急に、20年前のナンチャンの日本縦断自転車の旅を思い出した。
あれ、楽しそうだったよな。あのときはこんなこと自分には絶対に出来ないと思ってたけど、今だったらもしかして出来るんじゃないだろうか。ふと、そう思った。
「機会があれば」と思っているようなことは、ほとんどが実現できないことだということを43歳にもなると知ってしまっている。日常に戻ると「やらなければならないこと」が毎日波のように訪れて、その機会なんて一生やってこない。忙しい日々の中でははこちらから「やろう」と決めたことしか、実現しないものだ。だからその日の夜、病院のベッドの上で自転車で日本縦断をすることを決めた。これからは「やりたいことをやろう」。妻に相談してみると、妻も賛成してくれた。

退院するとすぐに具体的に旅の計画を立てた。
さすがに学生の夏休みのように一気に長い休みをまとめて取ることは出来ない。年に何度かある連休を利用して、細切れに日本を縦断する計画をたてた。
暑いのと寒いのは苦手なので、気候のいい秋と春に走り、丸2年かけて鹿児島から青森まで縦断するというのはどうだろう。これならなんとか仕事を持つ43歳の自分でも出来そうだ。
さらに学生のようにテントを担いで野宿というのも、ちょっときつい。ここは各所でビジネスホテルに泊まりながら、楽に行くことにした。昔と違って今は旅アプリなども充実しているし、スマホひとつあれば今いる周辺の空き宿が簡単に探せる時代だ。
肝心の自転車もナンチャンのようにママチャリでというのはさすがに無理だ。最近は自転車ブームで、ロードバイクもかなりいいものが素人でも手に入るようになった。それを長距離仕様に改造すると、1日100キロ以上の距離でも楽に走ることが出来る。
正直若い頃より体力や時間はないかも知れないけど、お金と少しばかりの知恵は、その頃よりはある。それでなんとかうまくカバーして、旅をしようというわけだ。
自転車を手に入れると、毎週末100キロ以上走る練習をした。

青森から鹿児島までは4つの国道で繋がっている。
ぼくの住んでいる大阪から東京までが1号線。大阪から下関までが2号線。下関から鹿児島まで3号線。そして東京から青森までが4号線。この国道の1から4までを順番に、4回に分けて走る計画をたてた。

退院から五ヶ月後の秋晴れの日、自宅近くの大阪梅田から1号線起点の東京日本橋まで、650キロを走りきった。かかった日数は4日。
このはじめての自転車旅は、今思い出しても最高だった。もし死んだ後、人生のなかで最も思い出深い日を選べと言われたら、必ず上位にランクインされる4日間になるだろう。新幹線で何度も往復したことのある、たった2時間半で移動できる大阪東京間。その道を数日かけて自転車で走っていくというこの単純な行為が、こんなに楽しいことなんて。それは旅をする前に想像していたものの何倍も素晴らしかった。

半年後の春には2号線にチャレンジした。大阪から広島までの400キロを2日間で走った。
さらにその半年後の秋には3号線を制覇した。4日間かけて広島から鹿児島の桜島までの630キロを走った。
どの旅も最高の旅だった。今や日本はどこの地方も均一化されているように思えるが、実際自転車で走ってみると県ごとにそれぞれの特色はしっかり残っていることがわかる。県をまたぐと空気感がまるで変わるし、人も違う。それを体と心の全体で感じることができる。自転車の旅ってとても贅沢な旅なんだと毎回のように実感した。

そして2017年秋、日本縦断計画の最終旅。日本で最も長い国道である4号線にチャレンジすることになった。東京から青森まで。約800キロある。そこを4日間で行くので、一日平均200キロ走らないといけない。今までの旅の中でも最も厳しい行程となる。

東北地方の10月はすでに寒いと聞き、9月の初旬に決行することにした。9月5日のまだ真っ暗の朝4時半に4号線起点の東京日本橋からスタートする。
今までの旅の経験で、初日に距離を稼いでおくと後が楽だということはわかっていたので、初日は北関東を抜けて、なんとか東北の玄関口福島に入ってしまおうと計画した。距離は240キロの予定で、1日に走る距離としても今までの最長になる。とにかくその初日はひたすら自転車を漕ぎ続けた。北関東の9月はまだまだ暑く、かなりハードな一日になった。

その日、栃木県と福島県の県境にたどり着いたときは、もうすでに200キロ以上走ってきて体は疲れ切っていた。ちょうどマジックアワーとよばれる夕暮れ時で、山の稜線がオレンジ色に輝いていて、とてもきれいだった。
県境では必ず県名を示す標識の前で写真を撮ることにしているので、ここで自転車を停めた。そこには同じく福島県の標識と自撮りしている先客がいた。傍らには自転車があるが、ロードバイクではなく、クロスバイクと呼ばれる少し手軽なものだ。格好もサイクリングスーツではなく、Tシャツに普通の短パンというラフな格好。こちらが写真を撮ろうと標識に近づいていくと、先客はすぐにこちらに気づいて、
「こんにちは! どちらまで行くんですか?」
と、とても明るい声で話しかけてきた。
県境は山間部で灯りもほとんどなく、もうかなり暗くなっているので顔はほとんどみえないが、ずいぶんと若い青年だということは声でわかる。
「青森を目指しています、今朝東京を出で4日かけて行く予定です」
ぼくがそう答えると、
「今日一日でここまで来たんですか! それはすごいなぁ。ぼくは横浜からなんですが、ここまでくるのにすでに4日かかっていますよ」
青年が笑ってこたえる。人懐っこい感じで、とても感じの良い青年である。
「実は、この自転車買ったのって5日前なんですよ」
傍らのクロスバイクを指差しながら、ニコニコした声で彼は続ける。
「本当はロードバイク欲しかったんですけど、お金が足りなくて。いいっすね、ロードバイク、速いんでしょう? 今、ぼくは大学4年生でこれが最後の夏休みなんです。来年就職で、こんな時間が一杯あるときって今後もうないじゃないっすか。大学時代これといって何もやってないし、最後になんかやっときたくなったんすよね。で、突然ひらめいたんです、5日前に、自転車で北海道の稚内まで行ってみようって。で買った次の日に横浜出て、20日ぐらいで稚内に着けばいいかなって思ってるんすよ」
興奮気味に一気に聞いてもないことまで話してくれる。
「泊まる所っすか。もう何も計画も立ててきてないし、金もあんまりなので、基本、漫画喫茶っすね。まだ暑いので野宿もありとは思ってます。あと、大学の友達の実家にも勝手に押しかけてやろうって思ったりもしてます。そんな感じすっすね」
暗くてほどんど顔は見えないが、声だけで彼がその無茶な旅をとても楽しんでいて、充実していることがわかった。
「すでにもうケツも脚もめちゃくちゃ痛いんすが、絶対に稚内まで行ってやりますよ。時間だけはありますから」
5分ほどの短い邂逅の最後に彼は満面の笑顔でそう言った。そしてお互いの健闘を讃えあって、我々はそこで別れた。

再びひとりで走りながら、彼の言っていたことを反芻すると笑いがこみ上げてきた。5日前に自転車買って、北海道までって。しかも行き当たりばったりの漫画喫茶泊まりって。これから東北入っていくのに漫画喫茶って、そうそうあるのかよ。そう思うと彼の無茶さがなんだか可笑しくなって、胸の中が温かくなってくる。
それとまた同時に、少しだけ彼に嫉妬している自分にも気づいた。
何に嫉妬しているのだろうか。稚内まで行けること? 20日間も時間があること? もちろんそれもあるだろう。でも、一番嫉妬したのは彼のその「無茶さ」にかも知れない。細かく計画を立て、4日間という制限のなかで猛スピードで走っている自分に比べて、行き当たりばったりを楽しんでいる彼はとても自由に思えた。自分にはもうあんな無茶で自由な旅は出来ない。


そして、彼と同じ年頃にいた20年前の自分を思い出した。
俺の大学時代も思えばお気楽だったよな。腐るほど時間はあったのに、金がなくて毎日のらりくらりしてた。でも、あの頃の俺は俺で、めちゃくちゃ自由だった。さっきの彼のようにハチャメチャな所はあった。そう言えば財布の中に500円しかないのに、友達の実家を訪ねて大阪から名古屋まで行ったことあったよな。そんな学生時代のバカ話をふと思い出したりする。
「何もやってなかったし、最後の夏休みになんかやりたくなったんすよね」
青年が言ったその気持ちはとてもよくわかる。結局やらなかったけど、あの頃の自分がナンチャンの自転車旅に心惹かれたのは、何もやっていない自分になんか焦ってたんだろう。今ならそう思う。
でも、20年後にそれを思い出して実行している45歳の今の自分もまだまだ悪くない。制限はたくさん出来たけど、まだまだ今の自分も充分自由だ。まだまだ何だって出来る。
20年前の自分のような青年に会ったことで、再びすっかり元気を取り戻していた。200キロ走ってきたことを忘れたかのように、漕ぐペダルも軽い。その気持のままさらにスピードを上げて県境の山を下っていく。今回も制限期限内に、その旅を徹底的に楽しんで、目的地までたどり着きたいと改めて強く思った。                                                                

それから、3日後に4号線780キロを走りきり、青森駅にたどり着いた。あの彼は稚内まで行けたのだろうか。
ぼくの旅は日本縦断では飽き足らず、目標を日本一周に変えて今は日本海沿いにチャレンジ中である。